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「堺まつり」は、「堺の誇りを知るまつり」をテーマに「市民総参加」のまつりとして、昭和49年にはじまりました。 |
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プロ・アマ問わず募集した「アセアンフォトコンテスト」の入賞作品を含む50作品を一堂に展示します。今年で14回目を迎える写真展で、アセアン諸国の魅力あふれる作品をお楽しみください。
・日程 |
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樋口季一郎陸軍中将(1888~1970)は、大東亜戦争中に北方軍~第五方面軍司令官としてキスカ島撤退作戦や、終戦後のソ連軍不法侵攻に対する占守島の戦いなどを指揮したことが戦史上特筆されている。そして近年は、支那事変(日中戦争)中の昭和13年(1938)3月、ナチスドイツに迫害されていたユダヤ避難民の満洲国通過の「ヒグチ・ルート」を開いた功績が改めて脚光を浴びている。評者が代表幹事を務める顕彰史研究会でも本年8月20日(樋口中将生誕日)、陸軍キャリアの出発点となる幼年学校に通い、また戦後の一時期を過ごした大阪府下の大阪護國神社において慰霊顕彰祭を斎行した。その際に記念講演を行った御令孫・樋口隆一明治学院大学名誉教授により、丹念な校註が施されたうえで再々刊(昭和46年初版、平成11年再刊)されたのが本書である。 日本経済大学准教授 久野 潤 |
9月23日の秋分の日、「第百二十二回無縁物故者慰霊祭」がサンスクエア堺(堺区)においてしめやかに営まれた。=写真= この慰霊祭は、一人寂しくこの世を去られた方々の霊を慰めるため、新生社 故 加藤均前代表取締役社長が祭主となり、60年以上に渡り毎年春秋の彼岸の中日に営まれてきた。これまでに祀られた御霊は334柱にのぼっている。 加藤浩輔祭主は「加藤均の意志を継ぎ、今後この慰霊祭は、私が春秋二回のお彼岸の中日に執り行わせていただきます」と霊前に誓った。 堺市から永藤英機市長の代理として健康福祉局 藤澤富美 長寿社会部長、堺市教育委員会 日渡円教育長の代理として中山真裕美 総務部長が参列、弔辞を述べた。 今回もコロナ対策のため一般参列者の参列は無く、関係者のみが参列、本光寺の足立英修住職による読経のもと、物故者の冥福を祈りながら献花を捧げ冥福を祈った。 |
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株式会社ライトヴィジョン 代表取締役 丸谷 博章 氏 |
事業内容
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