次へ

護衛艦「いせ」
戦艦「伊勢」洋上慰霊式

堺からいせ後援会が出席

「いせ」艦上で行われた慰霊式(弔銃)
「いせ」艦上で行われた慰霊式(弔銃)

 戦艦「伊勢」は大正6年12月1日就役、大戦末期には燃料不足により、「呉鎮守府第一予備艦(浮き砲台)」に指定され、行動不能のまま停泊していた呉港外の三ツ子島沖にて二度の空襲を受け大破着底、牟田口艦長以下190名もの尊い命が失われた。旧国名「いせ」を艦名とする二代目の護衛艦「いせ」(艦長 梅崎時彦1等海佐)は、昨年に続き2度目となる「伊勢」の洋上慰霊式を1月10日に実施した。「護衛艦いせ後援会」(会長 加藤均、NPO法人堺国際交流協会理事長)は、吉川榮治顧問、会長・理事を含め18名が出席した。
  当日、「伊勢」乗員で第一砲塔砲手であった田部清人氏(軍艦伊勢慰霊碑世話人代表)、さらに、昨年、フィリピン共和国台風被害国際緊急援助活動の海上派遣部隊として派遣された「おおすみ」「とわだ」「いせ」の3艦に対し、呉市立宮原中学校(木村好江校長)と小学生の生徒たちが、呉所属艦艇である誇りと乗員への激励の手紙をまとめた文集を送ったことから、梅崎艦長が今回の行動に招待、同中学校の1年生43名が校外学習として乗艦した。
  出港後約45分で三ツ子島沖海面に到着、当日、雪舞う冷え込みの朝となったが、慰霊式が開催される時間には風も弱まり、穏やかな日差しに包まれる中、加藤均会長が代表の一人として甲板より献花した。さらに、弔銃、黙祷を行い「伊勢」乗員に弔意を表した。終了後の直会は体験喫食、参加者は派遣隊員の食事を味わい、呉音楽隊の奏でる音色をしばし楽しんだ。行進曲「軍艦」が演奏され、戦艦「伊勢」の雄姿を想いうかべつつ入港、様々な想いをあとに退艦した。
  今回、帰国直後であることから、現地の被害状況や救援活動にあたる隊員の姿に画像で接する事が出来たばかりでなく、任務内容や意義・苦労話など、乗員から直接話を聞く有意義な機会となった。

梅崎艦長(中)、吉川顧問(右)と加藤会長(左)
梅崎艦長(中)、吉川顧問(右)と加藤会長(左)

社説

大学の国際化への取組み
東洋大学学長 竹 村 牧 男

 前回、東洋大学はグローバル人財の育成に全力で取り組んでいることを述べました。この結果、本学の学生の海外への短期・長期の送り出しに関する取り組みは、奨励奨学金の整備等により、かなり充実してきました。しかし留学生の受け入れについては、まだまだ低水準であるのが実情です。今後、キャンパスの国際化を推進して本学学生に日常的に国際感覚を養ってもらうためにも、留学生の受入促進は重要な課題だと思っております。私としては、今後この課題に鋭意、取り組んでいきたいと考えています。
  幸い、この一月一〇日に、バンコクに本学国際地域学部の事務所が開設されました。すでにクアラルンプールにも本学事務所があり、デリーにはバイオ・ナノ研究センターの事務所が設けられています。今後、欧米等にも事務所を開いていくべきでしょう。これらの海外事務所を通じて、本学の国際的な広報の強化と、留学生の勧誘、および本学学生の研修等への便宜供与、研究交流の活性化等に努めたいと思います。
  一方、新年度からは、遅ればせながら、海外短期招聘教授制度も発足させる予定です。この制度は、主に協定校の実績ある教授を招いて、学部学生への講義をしていただくことを中心に、学術交流をよりいっそう活性化させていこうとするものです。これらを通じて、キャンパスの国際化をさらに追求していきたいと思っております。
  職員の海外研修も、スイスの国連ジュネーブ本部やアイルランドのダブリンシティ大学において始まっており、可能な限り今後、他の地域にも拡大していきたいものです。学生や教員に協定校との交換制度があるように、職員にも交換制度があって当然でしょう。
  こうして、本学もこれからは世界基準にのっとり、しかも国際水準を超える大学となることをめざして、私は諸施策を展開していく所存です。元来、東洋大学の名称には、東洋学の国際的拠点となって、世界中から東洋学を学びに来る大学にしたい、との思いが込められていました。今後、日本学・東洋学の研究をさらに高度化し、世界中に発信したいと思っています。このことには、歴史・思想等のみならず、日本的な経営の方法、日本的なものづくりの伝統などもあります。日本的発想に基づく科学の方法論の開発も、ありえるのではないでしょうか。総合大学の強みを発揮し、かつ日本的・東洋的特性を発揮して、世界に冠たる大学になりたい、それが現在の私の夢です。皆様のご協力・ご支援を何卒よろしくお願い申し上げます。

東洋大学HP
http://www.toyo.ac.jp