《次へ》
|
||
潜水艦救難艦 「ちはや」 (艦長:金子弘2佐) は、 季節外れの肌寒い朝となった5月11日、 2年半ぶり4度目の堺泉北港大浜埠頭入港を果たした。 「潜水艦救難艦ちはや後援会」 (会長:加藤均、 堺国際交流協会理事長) は、 堺市危機監理官、 大阪地本副本部長を来賓に迎え入港歓迎行事を主催した。 終了後、 参加者は深海救難艇 (DSRV) など、 大変珍しい装備を持ち護衛艦とはまた違ったちはや艦内をつぶさに見学、 理解を深めた。 一方、 金子艦長は加藤会長とともに竹山修身堺市長を表敬訪問、 大震災の後だけに、堺市の進める防災事業などについて意見交換を行った。 帰艦後、 艦長は乗員とともに艦名の故郷、 千早赤阪村に向かった。 途中、 松本昌親千早赤阪村村長と合流、 村長の案内で金剛山腹の千早神社を訪問した。 千早神社は、 楠正成によって築城され天然の要塞と言われた千早城跡にあり、 参拝には15分ほどの登山。 神社参拝を済ませ、 持参の弁当で昼食を取った後、 今回訪問の最大の目的である境内及び社務所の清掃奉仕を実施した。 翌日、 「ちはや」 の所属する第一潜水隊群司令寺山勝幸1佐が合流、 在大阪インドネシア共和国総領事館よりイブヌ・ハディ総領事夫妻を迎え、 加藤会長らと供に昼食会を実施した。 総領事は、 「ちはや」 の料理を楽しみ、 「ちはや」 の説明を聞いた後艦内を見学、 「ちはや」 の持つ高い救難能力のみならず、 病院船としての機能を持つことを評価するともに、 現在の海上自衛隊の活動にも大いに興味を持っていた。 夜には、 芳賀俊洋堺市副市長、 大阪地方協力本部長、 そして阪神基地隊援護室長 (阪神基地隊司令代理) の来賓を迎え歓迎晩餐会を開催、 後援会員との交流を楽しんだ。 翌朝、 「ちはや」 は体験航海を実施。 普段は港から見送る後援会員も今回は 「ちはや」 で堺泉北港を出港、 ベトナムからの留学生も交え前日とは打って変わって好天の中、 阪神基地隊までの大阪湾の航海を楽しんだ。 退艦後、 乗員の掛け声で万歳三唱、 会員は別れを惜しみつつ 「ちはや」 を後にした。 「ちはや」 の今後ますますの活躍を祈るのはもとより、 次の入港が今から待ち遠しい。 (投稿 ちはや後援会 河本順雄) |
||
|
|
||
ベトナム社会主義共和国の財務省副大臣を団長とする訪問団が、 5月18日に堺市を訪問し防災備蓄について視察を行った。 訪問団はグエン・フー・チー財務省副大臣を団長に同省の国家救援物資管理総庁副長官、 同政策法務部長、 法務局長など12名で、 日本の防災備蓄制度について調査、 研究することを目的に5月16日から20日まで日本に滞在し、 農林水産省や政府備蓄倉庫などの視察も行った。 堺市では備蓄の制度、 物資の具体的な内容、 災害時におけるの水道、 さらに地震災害時の避難想定をもとにした備蓄計画や非常食 (お湯を注ぐだけで食べることができるご飯) の実演など備蓄についての説明が行われた。 その後、 小学校に設置されている備蓄倉庫 (毛布や仮設トイレなど避難生活で必要となる物資や、 ハンマーやバールなど救助用資材が保管) と区役所の備蓄倉庫 (湿温度管理を行った食糧も保管されている) を見学、 地方自治体の災害時における物資の備蓄に関する取り組みについて調査を行った。 視察を終えたチー副大臣は 「堺市が進める災害備蓄に対する取り組みはたいへん勉強になった、 ベトナムでも参考にしたい」 と感想を述べた。 |
堺市には、 南宗寺のような立派な禅宗寺院もあれば、 両本願寺の別院もあって、 きっと禅も浄土もさかんなことと思います。 本願寺の基である親鸞聖人の教えは、 師の法然上人の教えをさらに展開した、 深い求道にもとづく独創性にあふれるものでした。 親鸞聖人の教えでは、 『無量寿経』 に説かれた四十八の本願のうち、 人々を極楽浄土におさめ取るという第十七願・第十八願のみならず、 さらに必ず仏にさせるという第十一願、 および仏になったら人々の救済にはたらいてもらうという第二十二願がきわめて重要なものとなっています。 こうして、 阿弥陀仏の本願が成就したことによって、 私たちはその信心のみによって浄土に生まれ、 仏となることができ、 さらに還相 (浄土から娑婆へ帰る) において衆生済度に励むこととなるのであり、 またそこまで実現することによって私たちの救いも完成することになります。 とすればこのとき、 私たちが人々の救いに関わりうるのは浄土往生以後である、 ということにもなりかねません。 実際、 このことを説くものが、 『歎異抄』 の有名な次の箇所です。 「慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。 聖道の慈悲といふは、 ものをあはれみ、 かなしみ、 はぐくむなり。 しかれども、 おもふがごとくたすけとぐること、 きはめてありがたし。 浄土の慈悲といふは、 念仏して、 いそぎ仏に成りて、 大慈大悲心をもつて、 おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。 今生に、 いかにいとほし不便とおもふとも、 存知のごとくたすけがたければ、 この慈悲始終なし。 しかれば、 念仏申すのみぞ、 すゑとほりたる大慈悲心にて候ふべきと云々。」 ここには安易な人助けを誡める、 慈悲ということへの透徹したまなざしがあります。 では、 私たちは、 この世においては人々の救済には関与すべきではないのでしょうか。 しかし親鸞聖人は、 「如来大悲の恩徳は、 身を粉にしても報ずべし、 師主知識の恩徳も、 ほねをくだきても謝すべし」 と謳っています。 この報恩行は、 如来の大悲を人々に伝えていく活動が中心となるでしょうし、 さらにその周辺には人々の救済への真摯な関わり、 それにつながるさまざまな活動も含まれてくることでしょう。 自己のいのちの根源に対して深い感謝の念を抱くとき、 他者のいのちの十全な実現をも祈らずにはいられなくなります。 自己の根源に対する報恩の誠は、 ひとえに他者への関わりのうちに発揮されていくものと思われるのです。 |