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急速な経済成長が進む中国東北部の大連市で10月に開催される 「2011大連中日貿易投資展示商談会」 の出展企業の参加が呼びかけられている。 詳しい問い合わせは堺国際交流協会 (072―221―0001) まで。 |
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音楽を通じて自衛隊と市民との架け橋になることを目的に平成10年の結成から活動を続ける 「自衛隊音楽隊と集う友の会」 (疋田耕造会長) の平成23年度定時総会がコーナン商事葛煢ェ研修センターで開催された。 =写真= |
会員には演奏会の無料招待、 防衛関連施設の見学、 自衛隊各種行事の案内などの特典がある。 |
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廃校になった湊小学校 (東湊) の北端、 チンチン電車を渡った所に、 錆びついた鉄骨に残ったテントに書かれているのは、 「中筋商店街」 船待神社の裏道、 南北に通った路地は昔、 商店街だったのです。 湊小学校出身の私が通っていた頃は、 冷蔵庫の有る家は少なく、 子沢山の食料を毎日買うのが習慣だった。 輸入品など一切無いので生鮮食料品は、 売り切れごめん状態だから、 主婦達は朝から競って買い物をする。 たまに母に頼まれて買いに行くことも有ったが、 殺気だった大人に混り大声で注文するのに相当の勇気がいったものです。 |
6月30日 神奈川県横須賀市9人 |
大阪展 日時 8月16日(火)〜21日(日) 9時30分〜16時30分 場所 大阪市立美術館地下展覧会室 (天王寺公園内) 京都展 日時 8月23日(火)〜28日(日) 場所 京都市美術館 (岡崎公園内) 主催 具現美術協会 ※本紙連載中 「堺町並みスケッチ」 の野村亜紀子氏の作品も展示されます |
8日(月)10時 都市再生対策特別委員会 |
今、 自分の住んでいる羽曳野は大丈夫と思った従兄妹が防空壕から外へ出て、 すぐ引き返して来て、 「史ちゃん、 堺かも知れんで、 よう燃えてるわ。」 と言いました。 私はいても立ってもおれず、 外へ飛び出しました。 この羽曳野の空も、 大阪空襲の日の堺と同じようにうす明るくなり、 西の堺の方はもうまっ赤でした。 ああ、 あの火の中をとも子をつれた父と母が逃げまわっているのかと思うと気が気ではありませんでした。 でも、 もっとしっかり見ようと思って、 梯子をかけて牛小屋の屋根に上りました。 その時ちょうど堺の空のあたりに、 照明弾が炸裂しました。 照明弾と言うのは、 真暗な中に、 一発落とすと、 地面に落ちる前にぱっと花火のように広がって、 あたり一面を明るくし、 爆撃目標の工場や駅のある場所がわかり、 次に爆弾や焼夷弾を落とすねらいです。 |
(つづく) |
堺ジャーナルでは、 読者の皆様からのご投稿を募集しています。 氏名、 住所、 電話番号をご記載の上、 ファックス (072―223―0001) でお願いします。 |
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昭和20年の堺大空襲により堺市民の尊い命が犠牲になった。 冥福を祈る 「平成23年度堺市戦災死没者慰霊祭」 (主催 堺市戦災死没者遺族会、 後援 市校区自治連合協議会、 協賛 叶V生社) が7月9日、 内川公園慰霊碑 「堺大空襲を偲び平和を祈念する碑」 の前でしめやかに執り行われた。 鎌苅和由遺族会会長は 「戦争被害者の悲しみを風化させてはならない。 これからも戦争の無い、 恒久的な世界の平和を祈りたい」 と市校区顧問 加藤均氏が 「再びこのような惨事を繰り返さない平和な世界が永遠に続くよう努力していくことを誓います」 と追悼の言葉を述べた。 続いて堺市立市小学校の児童代表が千羽鶴を奉納し、 「平和な世界を作るため私たちにできることを小さなことから始めていきます」 と作文の朗読を行った。 =写真= 一光寺 宮田眞眼住職による読経のもと、 参列者は御霊の冥福を祈り焼香し、 平和の尊さを心に刻んでいた。 |