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吸い殻や空き缶の山が、 花と緑の楽園に生まれ変わり、 人々の目を楽しませている。 地域の人たちの優しい心が結集して実ったこの活動は、 汚れていくまちを見かねた堺区車西自治会の山下司会長の日々の美化活動からの産物だ。 同会長は自治会の会員に声をかけ、 今や地域一体となって美しい町並みが発展している。 大変なのは花や緑が生き物だという点だ。 「花壇が歩道の脇にあるため、 歩道者や自転車の方の安全を考えるとホースは使用できません。 歩道脇の企業にお願いをしてバケツで水をまいています」 と山下さん。 「油断していると雑草が生えてくるので、 草抜きもまめにするようにしています」。 苦労は多いがその分、 喜びも多いという 「時々、 花壇の脇に腰を下ろし休憩しておられる方や、 花の写真を撮っている方を見かけます。 そんな光景を見た時、 また通りがかる人が 『きれいにしてくれてありがとう』 と声をかけてくれた時は、 とてもうれしい気持ちになります」 ボランティアのメンバーは 「楽しみながら花や土に触れるのが生き甲斐です。 元気の源ですよ」 と話す。 花壇の場所は堺区車之町西1丁から西2丁の間。 花田口交差点から内川・土居川の信号までの全160メートル。 現在8人の車西自治会の会員が世話を続けている。 |
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個人形の部 団体形の部 個人組手の部 団体組手の部 |
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平成19年4月 「新湊小学校」 が開校された。 私の母校明治18年創立の 「公立湊小学校」 が廃校となった。 昭和26年児童数2000名となり、 湊西小学校を開校、 私達4年生は湊と湊西に分離された。 それまでは教室が足らず、 一部 (午前) 二部 (午後) と分けて授業を受けていた。 遊び時間、 廊下や、 校庭は児童であふれ、 遊具も何も無い時代ではあったが、 子供が多い事で遊びには困まらない楽しいばかりの日々でした。 戦後、 何も無く貧しい生活の建て直しで親達は必死で働き、 子供を育てた。 私の年代は、 産めよ増せよ、 そして以後4〜5年、 どの家も5人6人居るのはあたり前の子沢山、 進学塾など誰も考えもしなかった時代、 子供はひたすら表で遊び回っていたものです。 もう60年程も昔の日本の姿が、 思い出されるが、 第三幼稚園も無くなり、 湊小学校も無くなり、 生きて来た根っ子の思い出が、 消えてしまうむなしさを、 卒業生の皆は感じているのでしょうか。 まだ校舎が壊わされていない湊小学校の前を通るたび、 学校が悲しそうに見えるのは、 私の悲しい気持からでしょうね。 |
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堺区緑ヶ丘南町にある 「写真スタジオハッピー」 は女性ならではの感性と温かみのある作品を提供すると評判が高まっている。 |
大阪展 日時 8月17日〜22日 9時30分〜16時30分 場所 大阪市立美術館地下展覧会室 (天王寺公園内) 京都展 日時 8月24日〜29日 9時〜16時30分 (最終日は15時まで) 場所 京都市美術館別館 (岡崎公園内) 主催 具現美術協会 本紙 「堺町並みスケッチ」 連載中の堺市在住の画家、 野村亜紀子氏の作品も出展されます。 |
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昭和20年7月10日未明の堺大空襲により亡くなられた方々の冥福を祈り、 悲惨な戦争を二度と繰り返さないことを誓う 「第六十五回戦災無縁地蔵尊慰霊祭」 が7月9日、 午後1時から戦災無縁地蔵尊 (堺区住吉橋町1丁) で執り行われた。 =写真= この慰霊祭は昭和29年、 有志により発足した堺戦災無縁地蔵尊保存会 (金銅美幸会長) の主催のもと毎年執り行われている。 当日は雨の中、 多くの市民が参列、 読経の中、 それぞれ犠牲者の冥福を祈った。 |