旅に出るというのは、 日常の暮らしから離れること。 つまり、 未知のことがらに出会う楽しみがあると同時に、 常に不安や緊張に晒されることでもある。 旅はぼくにとって、 非日常の思索の時であるので、 いくら旅をしていても何の苦にもならない。 だが、 旅から旅を続けていると体が悲鳴をあげることがある。
あれは、 二年と少し前のことだった…頼まれた仕事でジャカルタから日本、 日本からジャカルタ、 ジャカルタから南スラウェシ、 南スラウェシからバリ経由でまた日本というのんびりとしたインドネシアの暮らしに慣れていたぼくにとっては、 殺人的と思われる旅の連続を10日間でこなした時のことだ。
最初の日本滞在でひいた風邪がなかなか治らず、 咳などが続き非日常の思索の時間はどこかへ吹っ飛び、 体調不良に苦しんでいた。 しかし、 ぼくは南スラウェシへ飛ばなくてはならなかった。 そこには、 ぼくを待っている人がいたのだ! (「いい日旅立ち」 の歌詞を思い出し自らを奮い立たせていた)
ジャカルタの空港へ行ったのはいいが、 疲労のためか発熱のためか背中に激痛を覚え始めた。 この痛みを何とかしたい…出発ロビーのベンチに座ってしばらく考えた。 そこで、 目に入ったのは忙しげに床にモップをかける人のよさそうな掃除のおじさん。 う〜ん仕方がない、 この人に頼もう、 と思い声をかける。
「おじさん、 悪いんだけど背中押してくれない?。 痛くて仕方がないんで…」 「どこ?ここかい?」 などといいながら背中に手を置いてくれる。 周りの目など気にする余裕もなくベンチに横たわる。 しかしながら、 その時の情景は特に奇異にうつらなかったように感じる。 ぼくがジャカルタを愛する所以である。
掃除のおじさんは、 それからぼくの 「左、 いやちょっと右、 その下…」 などという指示に忠実に従って背中をマッサージし続けてくれた。 インドネシア人はこういう時には、 驚くほど親身になって助けてくれるのだ。 もし、 これをどこか人々が忙しく動き回り、 「××べからず」 の張り紙が多く貼ってある国の空港で行ったとしたらどうなるだろう?ベンチにおける即席マッサージは即刻中止させられ、 掃除のおじさんは雇用主から厳しいお叱りを受けていたかもしれないのだ。 ああ、 ありがたやジャカルタ…ぼくの第二の故郷。
そのマッサージは30分も続いただろうか。 あと何時間でも続けていたい気持ちだったのだが、 飛行機の出発時間は迫ってくる。 お礼をいってベンチから起き上がると、 あら不思議さっきの痛みは和らいでいる。 それを告げるとそのおじさんは、 ぼくにも増して満足気な表情を浮かべ、 気をつけてお行きなさいという。
なんという親切な御仁かと思い、 せめてものお礼にと財布からいくばくかの金を抜き取り差し出す。 うれしそうにそれを受け取ったおじさんは、 またいつでも必要とあれば喜んでするよ、 という。 空港で二度とこんな経験はしたくないと思ったが、 それでも、 丁寧にお礼をいってぼくは機上の人となったのだった。
掃除のおじさんのマッサージ効果はしばらく続いたが、 その後ぼくは旅の最終目的地の日本で高熱を出し、 ジャカルタへの帰国を遅らせなければならなくなった。 日本に掃除のおじさんはいなかった…しかし、 病院へ連れて行ってくれた人、 ぼくの代わりに仕事をこなしてくれた人、 一本千円もするドリンク剤を届けてくれた人 (値段は本人が言及したのでわかった)、 心優しい人々は我が祖国日本にもやはりいた。
旅人である以上、 旅に耐えうる心身の強さを持たねばならない。 普段から運動をして体を鍛えているつもりでも、 時として旅の途中でダウンしてしまうことがある。 情けないことだが、 機械でない以上仕方がない。 我が敬愛する松尾芭蕉は 「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」 という辞世の句を残している。 この句をして芭蕉の旅は終わったのだが、 ぼくの旅はまだ終わりそうにもない。 終わらせる気持ちもない。
これからの旅の途中で一体どんな人々に出会うのか。 どんなできごとに遭遇するのか。 体を鍛えつつ、 そして精神を鍛えつつ次の旅の準備をしようと今思っている。
〜 「遊子遊目」 は今月号を最後に、 しばらく休載いたします。 長い間ご愛読ありがとうございました。 読者の皆様にまた語りかける時が来ることを願いつつ…
筆者〜
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