遊 子 遊 目42 
空港物語 〜憤怒編〜

 空港では普通、 旅が始まる前の静かな時を過ごすことが多い。 だが、 そんな穏やかな時間を蹴散らすような 「事件」 も時として起きる。 あれは、 数人の外国の知人と共に日本を出国しようとしたある夏の初めのことだった。
  いつも通りにカウンターでチェックインを済ませ、 手荷物だけを持ち出国手続きに向かう。 その前に待っているのは、 セキュリティーチェック。 ここ数年、 テロリズム事件の発生に絡み世界中どこの空港でも手荷物検査は厳重になりつつある。 その都度、 一市民としてぼくは警備当局に協力してきた。 鞄を開けろといわれれば、 公衆の面前でパンツなどが詰まった荷物を広げたし、 靴を脱いで歩けといわれた時には、 踵の部分が薄くなった靴下を気にしつつも冷たい空港の床を歩きもした。
  その日、 手荷物検査を済ませたぼくのところに、 これから一緒に日本を出発する一行の一人が駆け寄ってきた。 顔はいくらか蒼ざめ、 声は震え気味である。 一人の手荷物が検査にひっかかり、 機内に荷物を持ち込めないということである。 それは大変だ、 と思いぼくは少し離れた手荷物検査場に馳せ参じた。
  Yさんという手荷物の持ち主は、 泣きそうな顔でぼくを見る。 「これ、 捨てなきゃいけないみたいです…」 言葉には力がない。 警備担当者は、 Yさんが日本のお土産として買ったおもちゃの刀、 といっても刃などはついていない長さ5センチ程度の薄い鉄の棒を指差し、 「これは、 凶器なので持ち込めません」 という。 よって、 もう一度その 「刀」 を普通の荷物としてカウンターに預けるようにとのことである。 警備担当者と Yさんの間には、 言葉の壁があり、 うまくコミュニケーションがとれていなかったようである。
  そのおもちゃの鉄の棒は、 どうひっくり返しても凶器には見えない。 これでハイジャックをするというのか?機内食の時に出されるナイフは、 それよりもより鋭く、 より長く危険ではないのか?しかし、 そこで 「凶器」 の定義を論じていても仕方がない。 法治国家の国民であるぼくは、 もう一度カウンターに戻ることを承諾した。
  そうはいうものの、 日本を初めて訪れる外国人に少しでもいい印象を持ってもらうために、 もう少し工夫ややり方があってもいいのではないか、 との思いが胸をよぎる。 外国人だけではない、 日本人だってこの小さな鉄が凶器と認定されるということを知っている者は多くあるまい。
  そんな思いを抱えたぼくは、 警備員にいったのだった。 「それが決まりであるならば、 荷物は預け直しますが、 もう少しどういったものが凶器になるのかを周知徹底させる必要があるのではないですか?」 驚くなかれ、 返ってきた答えは、 空港での静かな待ち時間を完全に吹っ飛ばすのに充分な戯言であったのだ。
  「そんなこと、 こちらにいわれても困ります!」 我が耳を疑いつつ、 反撃を試みるぼく。 「だって、 現実にこういう問題があるわけですから、 今ある状態を5とするならば、 それをよりよい10にまで高める努力をするのが当然じゃないですか!」 しかし、 警備員は 「それは自分とは関係ない」 の一点張りである。 「法律でも、 条例でも規則でも、 それをよりどころに命令なり指示なりを出す者は、 その履行がより円滑になされるよう努力をすべきではないのか?利用者の声を聞くことは、 その努力の一つではないのか?」 自然とお互いの声も高くなる。 しまいには、 けしからんことに警備員は、 ぼくにねじりより威嚇のしぐさまで見せ始めた。 そこに警官も加わって、 議論は白熱の様相を帯びてきた。
  Yさんを始めとした一行は日本語を解さないが、 この不穏なる空気を悟ったのか、 ついに、 その中の一人が、 「やめてください、 もういいですから」 とぼくの袖を引っ張ったのである。 ガラスの向こうでは見送りの人が心配そうにこちらを見ている。 しかし、 このまま引き下がるわけにはいかない。
  仕事というのは、 個人が酔狂で行うのではないはずだ。 その警備員も警察官も組織の一員として、 組織を代表して職務を遂行するのだ。 仮に 「凶器を見つけ出す」 ということだけが彼らの 「職務」 であったとしても、 その職務と有機的につながる 「責任」 はどうなる? 「私にいわれても困ります」 というのは無責任極まりないではないか!
  結局、 ぼくと Yさんはカウンターに戻り、 問題の 「刀」 を入れた小さな鞄を再び航空会社に預けてことは終わった。 しかし、 興奮冷めやらぬぼくは、 出発ロビーで知人の一行に 「最近日本では、 自分の仕事について無責任に語る者が多すぎる!」 と大演説を行ったのだった。 それでも、 彼らは 「日本はとてもいい国だった」 と慰めるようにいってくれた。 それが、 この事件に関する唯一の慰めである。
NPO法人 堺国際交流協会
 東南アジア研究所主任研究員
博士 加 藤 久 典
ナショナル大学客員教授
(インドネシア・ジャカルタ)



第21回
関西矯正展

昨年は18,600人の来場者があった
昨年は18,600人の来場者があった

 全国の刑務所、 少年刑務所、 拘置所の受刑者が製作した家具、 日用品などの作業作品を集め、 一般の方に広く紹介し販売する 「関西矯正展」 が開催される。
  また、 受刑者の改善更生を図るため刑事施設で実施している様々な取組みをパネル等で紹介するほか、 5月に実施された全国刑務作業製品コンクールで法務大臣賞を受賞した唐木細工、 堺式手織緞通作品の作業指導者による実演も実施される。
  さらに施設見学 (各日先着300名・午前8時30分から発行される整理券が必要)、 音楽演奏・ダンスなどのステージ、 地場産農産物の販売、 堺消防署によるイベントなども実施される。
日時 11月8日(土)
    10時〜16時
    9日(日)
    9時〜15時
場所 大阪刑務所敷地内
    堺区田出井町6−1
  (JR阪和線堺市駅から徒歩5分)
入場無料
主催 大阪矯正管区
    大阪刑務所
お問い合わせ
大阪刑務所作業部門
TEL 
072−238−8269
FAX 
072−229−0896




「さかい自転車デー」

 自転車の安全やマナーアップのキャンペーンや堺市自転車地図の発行などの活動を行う 「堺自転車のまちづくり市民の会」 (盛喜八郎推進役) の主催により 「さかい自転車デー」 が9月20日(土)アリオ鳳で開催された。
  西堺警察署交通課、 堺市 (土木管理課) が共催する 「交通安全講習会」 =写真=や 「クイズでルールを学ぶ」 など様々なイベントが行われ参加者は自転車と交通安全に対する認識を高めていた。



昭和史を語る会
参加者募集

 第46回昭和史の記録映像上映会が行われます。
  記録映像 「赤紙が届く日〜挙国一致・進め行軍」 を見ながら昭和史を学び、 考え、 語り合います。 戦争の体験者の方も参加され貴重な話を聞かせてもらいます。
  参加希望者は当日直接会場へ。 参加無料。 主催は昭和の庶民史を語る会。
10月11日(土) 午後12時〜
堺市立東文化会館
詳しい問い合わせは同会事務局 (072−236−3357) 柴田代表まで。



第九十四回   
無縁物故者慰霊祭

 九月二十三日の秋分の日、 「第九十四回無縁物故者慰霊祭」 がホテルサンルート堺でしめやかに営まれた。 =写真=
  この慰霊祭は、 一人寂しくこの世を去られた方々の霊を慰めようと、 叶V生社代表取締役社長 加藤均氏が祭主となり、 毎年春秋の彼岸の中日に営んできたもので今年で四十七年目を迎える。
  祀られた御霊は三百三十一柱にのぼっている。
  加藤均祭主は 「無縁物故者の御霊がいつまでもやすらかであられますよう、 私の生ある限りこの法要を続けてまいります。」 と霊前に誓った。
  当日は、 八田壮老人ホーム、福生会老人ホームの方々をはじめ、 行政関係者、 一般参列者など約三百人が献花を行い物故者の霊を慰めた。




税金豆知識   
債務免除益と欠損金の関連性

 経営の苦しい会社が第三者から債務免除をうけた場合に、 免除をうけた額即ち経済的利益は 「債務免除益」 として益金に算入し課税対象となるのである。 例えば、 金融機関が経営状況の厳しい法人に対して、 経営再建の必要のために債権一億円を放棄した場合、 債権放棄により法人は一億円の 「利益」 があったことになり、 他に損金がなかったと仮定して法人税の税率を30%とした場合に三千万円の法人税が課せられるのである。
  そこで、 経営が厳しくて債務免除された法人が三千万円もの税金を支払うこと自体現実的には考えられず、 債務免除がその会社の経営をさらに圧迫するのであれば、 金融機関としても債権放棄した意味がなくなるのである。
  これに対し税務上においては法人の欠損金、 つまり赤字が生じた場合には一定の要件のもとに、 以後の事業年度において生じた債務免除益等の所得は、 前年まで繰越されている欠損金から控除できるのである。
  尚、 対象となる欠損金は平成13年4月1日以後に開始する事業年度に発生したもので繰越期間は翌事業年度以後7年間適用されるのである。
  これにより債務免除益を上回る繰越欠損金があれば、 課税所得と相殺されて納付すべき税金は発生しないのでこの制度をおおいに活用したいものである。

税理士 大西 正芳