南シナ海問題におけるバイとマルチ―海洋空間の「連結性」

明治大学 教授  伊藤 剛

 国際仲裁裁判所(PCA)による2016年7月の判決では、中国が主張する九段線に法的根拠が存在しないということになった。世界保健機関が今年に入って再度新型コロナウイルスの発生源に関する調査を行いたいと要求しても、主権を理由にあっさりと断った。この「中国の、中国による、中国のための」態度は、グローバル化が進展した今日において、中国人には賛美されるかもしれないが(しかし、全員ではないだろう)、いったいどれだけ有効なのだろうか。
 南シナ海問題も、中国の「力による現状変更」が加えられてから久しい。昨年の4月3日、パラセル諸島海域で操業していたベトナム漁船「QNg90671号」が中国海警局の巡視船「4301号」に体当たりされて沈没したと、ベトナム政府は発表した。他の2隻のベトナム漁船も拿捕され、漁民が一時拘束され、機械設備や漁具が破壊され、没収された。
 枚挙に暇がない。フィリピン漁船は、2019年6月13日に中国漁船に衝突され、沈没した。2021年3月には、スプラトリー諸島付近のフィリピン排他的経済水域(EEZ)で中国の海上民兵が配備したと見られる約220隻の中国漁船が隊列を組んで停泊していた。どうやらASEAN諸国の政治指導者の態度や認識、そして国際的に決められたルールや、それに基づく判決、それらのどれも中国には関係ない。裁判で負けたら、次の裁判で勝利するよう対策を練ればよいが、それもない(「江戸の仇を長崎で撃つ」方式である。ただ、力を使って、自らの道を突き進むだけである。
 このアナクロニズムは、どこから来るのかと、実は不思議に思っていた。先日、この4月に私のところで勉強している中国からの留学生が、「中国は大国になってきたのだから、周辺の国と紛争が起きるのは当然だ。」というコメントを授業で述べていた。おそらく、日本に来る前にそう習ったのであろう。大国となったことへの自信は悪いことでないが、同時に「力がすべて」と言わんがごとく他者への配慮が欠如しているこのような言説に対し、これを戒めるのが私の例年の仕事になってきている。
 中国は、国家戦略として「海洋強国」になることを目指している。世界史を振り返れば、19世紀は「パックス・ブリタニカ」と呼ばれ、20世紀は「パックス・アメリカーナ」と呼ばれた。超大国で海軍大国でなかった国はない。21世紀は中国の出番だとでも考えているのだろう。それ自体は、不思議なことではない。中国が2015年から3年間に建造した艦艇の総排水量は約40万トンで米国の2倍に相当し、中国海軍が保有する水上艦と潜水艦は現在の400隻から10年後には530隻以上になるとされる(これに対し、米海軍が保有する水上艦と潜水艦は300隻ほど)。また、中国の軍事支出は2015年の1679億ドルから2030年には2068億ドルと55%増加し、とりわけ海軍については314億ドルから571億ドルと82%も増加すると予想されている。
 中国のいう海洋強国は、海軍戦力の充実とパラレルに、海洋権益を確保しうる体制作りをも意味する。世界第2位の経済大国となった中国は、急速な経済成長を支えるために、海洋資源を必要としている。今や石油の輸入依存度が、70パーセント以上、天然ガスのそれも40パーセント以上に増大している。経済成長の持続のためにも海洋強国になり、そのためには軍事力も整備しないといけない。軍事力整備のためには、経済成長が必要、というロジックである。
 こういった「力の外交」に対し、従来の海洋安全保研究における既存アプローチは、大きく二つに分かれていた。第一は、国際法的アプローチに基づくものである。国際社会全体のルールがこうなっているから、現状変更勢力である中国はそれを守るべきだ、という提言が出ることが常である。このアプローチは、国際法・海洋法を守ろうとする国家が大勢を占めない限り、有効性が大きいとは言えない。今日における最大の問題は、中国が既存の国際法を「欧米中心主義」として批判し、国連海洋法を無視した行動が目立つことである。さらに、中国自身の立場からは、既存の国際法秩序がアジア諸国(実際には、中国にだけ)に不利なようにできており、その不平等な国際法を是正するという使命感を持っていることである。
 第二は、「グレーゾーン」対処アプローチとでも言うべきか、現状の海洋法秩序に変更を加えようとする中国をどのように阻止できるかという観点から、枠組み条約である国連海洋法の曖昧な論点について、中国による現状変更に対して毅然とした態度で取り組むというものである。これ自体も安全保障法制が未整備な日本において、現状変更勢力である中国が軍事力をもって尖閣列島に上陸したり、南シナ海において軍事拠点化を遂行している(そして後者は現実に進行中であり、中国政府は南シナ海に行政区まで制定した。)現状において、対抗策として必要な方法である。
 しかし、海洋利用に関する認識の最大の差異は、中国の目的が「公共管理」という名目で他国の領域に進入することを可能とする「国際海峡を増や」すことであり、これに対して中国以外のアジア諸国が「海洋空間を人類共通の目的のために広く使う」ことを目的としているという点である。言葉を替えれば、中国が海洋の「所有」範囲を、他の国がその「利用」範囲を広くしようとしていることを意味する。ここに「公的管理」という用語使用における認識ギャップが存在している。
 となると、中国の言う「海洋空間の公的管理」というのは、実は自国が国際海洋空間を「利己的に」所有しようとしていることを隠蔽したものであると解釈することも可能となる。そもそも海洋空間は、陸地のように「所有」と「利用」が完全に重複する類のものでなく、両者は重複する部分と、そうでない部分とに分かれる。それゆえに、「公的管理」という用語が、海洋空間の「利用」でなく、「所有」について主張されていないかを注意して観察する必要があり、また「公的管理」というソフトな言葉に惑わされないようにする判断力が必須となって来る。
 中国による「海洋強国」政策から大きな迷惑を被っている国はベトナムだろうが、中越二国という観点から行けば、ベトナムによる中国への貿易依存度は、中国の対越依存度よりもはるかに大きく、また共産党政権同士の人物交流等も盛んに行われていて、簡単に中国に抗いがたい要素も数多く持っている。経済依存度と海洋政策とを暗にリンケージさせて、相手国からの要求をトーンダウンさせるやり方は、中国のお得意のところであろう。
 日本としては、この南シナ海問題にどう対処すべきか。軍事力を行使することが憲法上制限されている日本にとって自国政府の持ち得る金銭をいかに巧みに使うかで外交力が発揮される。その意味で、政府開発援助は日本にとって外交の武器である
 もっとも、ここ10年程度の日本の援助は、経済開発のみをターゲットとする方式から、供与国の安全保障的側面にも貢献を行うようになった。経済開発は日本の業者に受注が行われて供与国のために本当になっているのかという批判はあるものの、その建築物等の成果を獲得するのは供与国である。そして、安全保障に関連した援助は、ベトナムやフィリピンに供与した海上保安庁の巡視船のように、供与国のみならず、日本へのシーレーンを今以上に安全・安心にするというメリットもある。日本の援助が自国にも役立つという意味で、より透明性の高い財政の使い方とも言えよう。
 実際、日本とベトナム両国間では、このような協力が様々に行われてきた。最初は、2014年度無償資金協力によって海上警察に中古船(大型漁船)3隻を供与した。この3隻は巡視船として改造され、ベトナムの沿岸、南シナ海で活用されている。2017年6月に今度は円借款が366億円で合意され、新しい巡視船6隻が供与されることとなった。これが最終的に調印されたのは昨年7月であっただけに、一刻も早い供与が期待されている。
 南シナ海、そして広くはインド太平洋という地域は、海洋権益を巡る摩擦が近年増加しており、また自然災害の影響等により海難事故のリスクも高くなっている。グローバル化に伴って人や物の移動が活発化し、それに比例して海上犯罪のリスクも、密輸、密漁、テロという形で顕在化する。南北に長い海岸線を有するベトナムにとって海上警察は、救難や法執行活動のために必要不可欠なものであり、その能力を向上させることは欠かせない。同時に、ハード面が整備されれば、ソフト面というか、巡視船を運用する人材の育成が急務となる。「海上保安庁とベトナム海上警察との間の協力覚書」が6年ほど前に交換され、日本の海上保安庁はベトナムの海上警察に乗船研修や立入検査研修等、様々な研修・セミナー等を実施してきている。
 海洋空間が「インド太平洋」や「アジア太平洋」のように、我々が日常生活を送る陸地と陸地とを連結する役割を果たしてきたことを考えれば、海洋安全保障問題は中国との二国間のディールによって解決するよりも、そもそも海洋空間やサプライ・チェーンはどうあるべきかと言ったような、国際秩序をどのように形成するかという大局的・戦略的論点と密接に関係していることが分かる。表題に掲げた日本、台湾、ベトナムは中国の東側に南北に連なっているいるが、海洋空間から見ればお互いに「連結」した利害を有しているのである。
 以上から、再度「海は繋がっている」ことを認識する。国際社会は長い間「中国の台頭」に対して、「国際社会に取り込む」ことを強調してきた。しかし、大きくなった中国は自らのディールを有利に展開するために常に二国間交渉を好む。その結果として、南シナ海問題は、複数の二国間問題として扱われることが多くなる。それでは、相対的に小さな国、依存度が大きい国はたまったものではない。透明性と公平性の高い枠組みの中で、関係国が同等な態度でアプローチできるような多国間の討議が開催されるべきである。