《次へ》
今でも時々テレビなどで、 シドニーの美しいオペラハウスや光り輝く海、 聳え立つ近代的なビル群を見ることがある。 その度ごとに、
ぼくの胸には数限りない思い出が蘇ってくる。 酸っぱくて甘い、 寒くて暑い、 暗くて明るい、 そんな記憶の数々。 何とも矛盾のように聞こえるだろうが、
その複雑さこそが、 ぼくのシドニーの思い出なのだ。 3年間ジャカルタのインターナショナルスクール (国際学校) で教えたぼくは、 もう一度大学に戻って、 勉強しようと思いジャカルタの学校を辞した。 毎日教えているうちに気づいた自分の知識の浅さを何とかしなければ、 と感じたのだ。 ぼくが選んだのはオーストラリアのシドニー大学。 それまで教壇に立っていたぼくが、 今度は学生となって講義を受け、 レポートを書くことになった。 その新鮮さ、 その喜びは今でも覚えている。 大学の図書館には、 世界中の本や雑誌が集められ、 学問を共通の立場としてお互いに尊敬しあう学者たちが、 大学の構内を闊歩していた。 ぼくは、 そんなシドニー大学のアカデミズムの世界にすっかり圧倒された。 お金や権力とは無縁な世界、 その両方を持たないぼくには、 なんとも心地よい環境だった。 本当は、 学者同士の権力争いもあったのだろうが、 幸いぼくはそんなものに巻き込まれることはなかった。 ぼくのシドニー大学での生活を語るうえで忘れてはならない人物がいる。 それは、 トロンプ教授。 この人物に出会わなければ、 ぼくがシドニーに5年間住むこともなかったかもしれない。 自由で、 知を愛し、 寛容で慈悲に満ち、 笑いを忘れないこの教授からぼくはいったいどれほどたくさんのことを学んだだろう。 修士課程を始めるにあたり、 初めて教授室を訪ねたとき、 トロンプ教授はうず高く積まれた本の間から姿を現し、 右手を差し出して 「シドニー大学へようこそ!ぼくはゲーリー、 よろしく」 と言ったのだ。 西洋人が誰かと初めて会うとき、 自分の名前をどのように紹介するかで、 相手に何と呼んでもらいたいかがわかる。 例えば 「私はトロンプ教授です」 といったならば、 彼はぼくらにトロンプ教授、 と呼んで欲しいのだ。 多くの西洋人が働いていたインターナショナルスクールでは、 先生同士はファーストネームで呼び合っていたが、 生徒が教師をファーストネームで呼ぶことはなかった。 しかし、 何冊もの著書があり世界各国の大学に招かれて講義をするこの教授がぼくに対して、 ファーストネームで自分を紹介したのだ。 それからしばらく、 ぼくはなかなか 「ゲーリー」 と呼びかけることができず 「トロンプ教授」 と呼び続けていた。 それでもやっと、 教授をファーストネームで呼べるようになったころのことだ。 ポーランドから来た友人とぼくが 「ゲーリー」 の講義を受け終わり、 外へ出ようとしたとき、 二人の持っているテニスのラケットを見つけてゲーリーが近づいてきた。 「テニスをやるの?私も好きだよ、 一緒にやろうじゃないか」 ということで、 ぼくらは週に一回大学のコートでテニスをすることになった。 ぼくはテニスは大好きだが、 本当に下手。 ゲーリーと試合をしてみると、 サーブは矢のように早い。 おまけに、 年齢不相応に走るのも早い。 勝てるはずもない。 このウィークリーテニスはぼくが卒業するまで続いた。 試合中はお互い真剣そのもの。 テニス仲間のポーランド人もぼくも、 ゲーリーが論文の指導教官などということは忘れ、 きわどい判定にはむきになって抗議し、 チャンスあれば容赦なくドロップショットやスマッシュで攻撃し、 はたから見れば、 なにをそこまでの真剣勝負を展開したものだった。 しかし、 そのテニスもぼくがしばしばフィールドリサーチ (現地調査) のためインドネシアを訪れなければならず、 何度か中断された。 長いときには数ヶ月も。 ぼくは、 シドニーに帰るとすぐにゲーリーのところへ、 集めた資料と調査結果を持ってはせ参じた。 いつものように、 本の間から姿を現したゲーリーは喜びに溢れた表情でぼくを迎え、 帰国を歓迎してくれる。 久しぶりで会ったゲーリーは、 握手で握ったぼくの手を離そうともせず言った。 「いや、 久しぶり。 元気だったか?ところで、 テニスはいつできる?」 調査のことを話そうと考えていたぼくは、 あらインドネシアのこと聞きたくないの?と思い少しずっこける。 この数ヶ月、 ぼくよりずっとテニスのうまいポーランド人に負け続けていたので、 絶対に勝てるぼくと試合をしたかったのだろうか。 しかし、 ゲーリーはぼくの調査を軽んじていたのではない。 実際その後、 きちんと話を聞いてくれたし、 適切なアドバイスもくれた。 彼はぼくを信頼していてくれたのだ。 君がやることを私は信じている。 心配なんぞしていないんだよ、 というメッセージが、 「今度のテニスはいつ?」 という言葉に表れているのだ、 とぼくは思っている。 もし、 ぼくがそう言ったら、 ゲーリーはいつもように本当に楽しそうに、 ちょっと恥ずかしそうに笑うに違いない。 |
NPO法人 堺国際交流協会 |
家内の出来事、 町内のニュース、 イベント情報、 メンバー募集など、 読者の皆様方の情報を教えて下さい。
皆様の共有スペースとして本紙面を活用して下さい。 「市民の声」 も募集中。 堺ジャーナル編集部 |
日時 10月4日(木)・11日(木) |
堺市と韓国の小学生がバスケットボールを通じて交流を深めている。 |
3日(月)13時 本会議 傍聴などお問い合わせは |
最近のインターネットオークションで頂き物の高価なお酒を出品している人をよく見かけることがある。が、酒類の販売業をする時は酒税法に基づいて販売所が所在する所轄税務署長から酒類販売業免許というものの交付を受ける必要がある。それではインターネットオークションでの酒類の販売は「酒類の販売業」に該当するか否かである。ここでいうところの「酒類販売業」とは、酒類を継続的に販売することであり、営利を目的とするか否か、特定者、不特定者に販売するかは問うていないのである。従ってインターネットオークションであっても継続して酒類を出品し販売する場合は「酒類の販売」となるので注意が必要である。次に家庭で飲用目的で購入した酒類やお中元、お歳暮などで他者からいただいた酒類をインターネットオークションで販売するのをよく見かけるが、その場合は通常「継続的な酒類の販売」にはならないので販売許可を受ける必要はないのである。 |
税理士 大西 正芳 |